僕は、お人好し、隙のある人だからだろうか。
ある日の朝のことです。
近所にあるバスの停留所に向かうと、知的障害者と思わしき人がいました。
目があったので、「おはようございます」と挨拶するとニッコリ笑顔に。
しばらくすると、近寄ってきた彼が僕の手をつかんで何か言っています。
バス停留所で、いきなり手をつかまれたのだけれど、驚きはしませんでした。
「手をつなぎたいの?」と聞き返すと、彼はうなずいた。
そして、成人男子の二人が手をつないでバスを待つという、懐かしいような不思議で珍しい体験をしたのです。
彼は、バスに乗り込んだ後も手を離さず、僕の動きを待ちます。一緒に座るつもりだったのでしょう。
僕はやる事があったので、「そこに座りなよ、僕はここに座るから」とお別れしました。
よくよく思い返してみたら「中日帽」だった
彼のことをよくよく思い返してみたら、僕が中学生の頃にいじめてしまっていた人でした。
サッカーの帰り道に何度か行き会ったことがあると思うのですが、目の敵のように接したことがあったかと思います。
確かあの頃は、「いきなり手をひっぱられた」とかなんとか言われており、何をするのか分からないということで、一部の子供たちの間では危険視されていたかと思います。
このどこの誰なのか分からない彼、いつも中日の野球帽をかぶっていたので、「中日帽」というあだ名で呼ばれていたのです。
このことに気がついた時、言葉にはならない複雑な気持ちになました……。
彼は、どうして手をつなごうとしたのか
日常の僕は、近寄ってもよさそうだと思える人を見つけても手をつなごうとは思わない。
しかし、この世に自分一人しかいないと思って旅をしていることろに、安全そうな人が現れて挨拶をしてきたら、きっと触れ合いたくなると思う。
過去の経緯からか、こんなおかしな妄想が頭を巡る。
調べてみると、
全日本手をつなぐ育成会という活動を見つけた。
見つけたけれど、手をつなぐ育成会のサイトはよく見ずに、アルバムを見ました。
適当に手にとったアルバムは母のものだったので、母と誰かが手をつないでいる写真を探す。

中央の素敵な笑顔の美人が母です。
懐かしく、温かい気持ちになる。
彼がなぜ手をつなぎたかったのかは、本人と話さなければ分からないことだけど、この体験が何かの足しになればと思う。